気づいたら誰とも話してない日、ありませんか?
一日の終わりに、ふと思い返してみることがあります。今日、誰かとちゃんと言葉を交わしたっけ、と。
仕事のやり取りはあった。家族への連絡もした。でも、それって全部「用件」だったな、と気づく日が、正直、私自身にもあります。予定を伝える、依頼をする、返事をする。必要なことは全部済んでいるのに、一日の終わりになんとなく物足りなさが残る。
相談室でも、似たような感覚を口にする方が最近増えてきた気がしています。
在宅勤務3年目のシステムエンジニア、鈴木さん(仮名・30代)もその一人でした。「用件は全部LINEで済むんですよね。仕事も家族との連絡も。でも、なんか、満たされてないんです」。仕事は問題なく回っている。締切も守れているし、評価も悪くない。それなのに、ふと気づくと「今日、誰とも喋ってないな」という日が週に何度もある。用件は伝わっているのに、なぜか心がすかすかする。そんな感覚だそうです。
見えにくくなった「孤立」のかたち
孤立というと、誰にも会わない引きこもり状態をイメージするかもしれません。でも実際はもっと静かに、もっと気づきにくい形で進むことが多いです。
在宅ワークで、通勤も雑談も自然に消えてしまった人。 出社してはいるけれど、成果主義の職場で業務連絡以外の会話がほとんど発生しない人。 一日中パソコンに向かうデスクワークで、対面で誰かと言葉を交わす時間自体が減っている人。 一人暮らしや単身赴任で、家に帰っても話す相手がいない人。
共通しているのは、「困っていない」ということです。仕事は回っている。生活も一応成立している。だから本人も、周りも、「これは問題だ」と気づきにくい。鈴木さんもそうでした。パフォーマンスは落ちていない。でも、なんとなく疲れが抜けない感じがずっと続いていたそうです。
こういう話を聞くたびに思うんですが、別に「毎日誰かと深い話をしなきゃいけない」わけじゃないんですよね。ただ、雑談すら発生しない状態が長く続くと、思っている以上にじわじわ効いてくる。
実際、鈴木さんにはこんなことがあったそうです。ある日、たまたま昔の同僚と電話で少し話す機会があった。仕事の話じゃなく、近況を聞かれて、ぽつぽつ答えているうちに、「あ、自分けっこう疲れてたんだな」と、自分で言いながら気づいたと言うんです。特にアドバイスをもらったわけでもない。ただ話しただけ。それなのに、電話を切ったあと、ちょっと肩の力が抜けた感覚があったそうです。
これ、なんとなく分かる方も多いんじゃないでしょうか。話したから問題が解決したわけじゃないのに、なぜか少し楽になる。あの感覚は、いったい何なんだろう。
誰かと話すと、何が変わるんだろう
心理学の世界には、これに近い現象を説明する考え方があります。安心できる人や場所のことを「安全基地」と呼んだりするんですが、子どもが親という安全基地を土台に、外の世界へ冒険していくように、大人になっても、誰かと安心して話せる関係があると、現実に向き合う力が戻ってきやすくなる。鈴木さんの「肩の力が抜けた感覚」も、これに近いものだったのかもしれません。
相談って、問題を解決することだけが目的じゃないんですよね。誰かと話すことで、「あ、自分は今こういう状態だったんだ」と、現実との接点を取り戻せる。それだけで、ずいぶん楽になることがあります。
逆に言うと、話す機会がないままだと、自分の状態に気づくきっかけそのものが減っていく。鈴木さんの「なんとなく疲れが抜けない」も、誰かに話す機会があれば、もっと早く言葉になっていたかもしれません。
「話さなくても回る」からこそ起きること
誤解してほしくないのですが、チャットやメールで用件が済むこと自体は、悪いことではありません。効率的だし、便利です。
ただ、それだけで一日が完結してしまう構造には、少し注意が必要かもしれません。「困ったときに相談できる人がいる」ことと、「日常的に雑談できる相手がいる」ことは、実は別の話だったりします。前者があっても、後者が長く欠けていると、じわじわと消耗していく。そういうケースを、これまで何度も見てきました。
余談ですが、私は心理職になる前、水商売の世界で長く働いていました。お客さんとの会話のほとんどは、別に「相談」ではなかったんです。今日あった些細な出来事とか、どうでもいい愚痴とか。でも、そういう用件のない会話の中にこそ、人がふっと本音をこぼす瞬間があった。今思うと、あれも一種のサードプレイス的な機能を持っていたのかもしれません。
サードプレイスという考え方
家でもない、職場でもない、第三の場所。社会学の世界では「サードプレイス」と呼ばれたりします。用件がなくても行っていい場所、というのがポイントです。
- 行きつけの喫茶店やバー。店員さんと二言三言交わすだけでもいい
- 地域のコミュニティ活動やボランティア
- ジムやスポーツクラブ、習い事の教室
- 図書館の読書会や、地域のマルシェ
- 定期的に顔を合わせる美容院や理容室
- オンラインでも、趣味の掲示板やコミュニティで反応をもらえるやり取り
大がかりなものである必要はありません。「そこに行けば、誰かと一言交わせる」という場所が一つあるだけで、意外と支えになるものです。
鈴木さんは最初、近所のジムに週1回通うことから始めました。特に誰かと深く話すわけではなく、受付の人と挨拶を交わす程度。それでも数ヶ月続けているうちに、「あ、今日誰とも話してない」という感覚が少し減ってきたそうです。
一方で、うまくいかなかった人もいます。田中さん(仮名・40代・会社員)は、いきなり地域のサークルに参加してみたものの、知らない人ばかりの場に馴染めず、逆に疲れてしまったと話していました。この方は結局、以前から通っていた行きつけの定食屋で店主と話す時間を、意識的に増やすところから始めることにしたそうです。新しい場所を探すより、すでにある場所を「サードプレイス化」する方が、性に合っていたのかもしれません。
正解は一つではありません。合う場所は人によって違いますし、最初からしっくりくるとは限らない。何ヶ所か試してみて、自分に合うものを見つけていく、くらいの気持ちでいいと思います。
話せる場を、少しずつ持ってみる
いきなり大きく変える必要はありません。
- 1日1回、業務外の一言を誰かに送ってみる
- オンライン会議の前後数分を、雑談に使ってみる
- 「サードプレイス」になりそうな場所を、一つだけ試してみる
どれも小さな一歩です。でも、こういう小さな接点の積み重ねが、気づいたときの心の余裕につながっていたりします。
おわりに
今週、誰かと一言でも交わせそうな場面、ありますか?
大きな相談でなくてもかまいません。天気の話でも、昨日見たニュースの話でも。用件のない会話を交わせる相手や場所を、一つでも持っておく。それだけで、心の逃げ場は確実に増えていきます。


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