家族とは、わりと普通に話せる。多少きついことも言えるし、聞ける。
友達とも、冗談を言い合ったりして、それなりに気楽にやれている。
なのに、職場になると急にうまくいかなくなる。
上司の前だと、言いたいことの半分も言葉にできない。
会議では、意見はあるのに、タイミングを逃して黙ってしまう。
頼まれごとを断りたいのに、結局「大丈夫です」と言ってしまう。
こういう状態が続くと、多くの人がこう考えます。
「私、コミュニケーション能力が低いんだ」と。
ここで、ちょっと立ち止まってみたいんですよね。
もし本当に「その人自身のコミュニケーション能力」が全体的に低いのだとしたら、家族の前でも、友達の前でも、同じように話せなくなるはずなんです。能力というのは、基本的にどの場面でも同じように発揮されるものなので。
でも実際は、そうなっていない。相手が変わると、できたりできなかったりする。
これ、能力の問題というより、「組み合わせ」の問題なんじゃないかと、僕は思っています。
心理の世界では、人の行動を説明するとき、その人個人の性格だけを見るのではなく、
「その人」×「相手」×「その場の状況」
という3つの掛け算で見ていく考え方があります。
同じ人でも、相手が変われば出てくる行動は変わる。同じ相手でも、状況(忙しさ、立場、過去の関係性)が変われば、また変わる。
家族の前の自分と、上司の前の自分は、別人格というわけじゃないんですが、その場その場で「使っている行動のパターン」が違う、というだけなんですよね。
だとすると、目指すべきことも変わってきます。
「コミュニケーション能力そのものを底上げする」のではなく、
「その場面、その相手に対して使える行動や言葉の選択肢を、少しずつ増やしていく」
という方向のほうが、現実的だし、たぶん早いです。
もう少し具体的に考えてみます。
会議で発言できない、というケースはよく相談で聞きます。
30代・営業職の中村さん(仮名)は、会議になると意見が全く出てこないと悩んでいました。話を聞いていくと、実は資料を読んで自分なりの考えを持っていることが多い。ただ、それを「発言する」というところまでいく前に、頭の中で止まってしまう。
「こんなこと言って、的外れだったらどうしよう」 「もっと詳しい人がいるのに、自分が発言していいのか」
こういう考えが先に立ってしまうそうです。
これは能力の問題というより、「発言する」という行動を、いきなり「完璧な意見を、堂々と述べる」という形でしかイメージできていない、という状態に近いんですよね。
実際には、発言の仕方にはグラデーションがあります。
完全な意見を述べる必要はなく、 「素朴な質問なんですが」と前置きして疑問を投げる 「〇〇さんの意見に近いんですが、少し補足すると」と乗っかる 「まだ整理できていないんですが」と前置きしてから話す
こういう「小さく発言する」やり方もあります。中村さんには、まず「質問」という一番ハードルの低い形から試してもらったんですが、それだけで、会議での居心地が少し変わったと話していました。
こういう「場面ごとの行動の選択肢を増やしていく」アプローチのことを、心理の世界では、ソーシャルスキルトレーニング(SST)と呼んだりします。
SSTと聞くと、子どもの療育や、一部の精神疾患を持つ方のリハビリで使われるもの、というイメージを持っている方も多いかもしれません。実際、そういう場面で使われることは多いです。
ただ、根っこにある考え方自体は、普通に働いている人にも十分に応用できるものなんですよね。
会議で発言する、頼まれごとを断る、雑談に入る、苦手な上司に報告する。
こういう一つひとつの場面も、突き詰めれば「その状況で使える行動のレパートリーを、どれだけ持っているか」という話に集約されていきます。
生まれつきの性格や才能というより、経験値に近い部分もある、ということです。
これは、少し希望のある話でもあると思っています。
性格は、そう簡単には変えられません。長年かけて形作られてきたものなので、無理に変えようとすると、むしろしんどくなることが多い。
でも「行動の選択肢を増やす」という話であれば、話は別です。今持っている引き出しに、新しい引き出しを一つ足す、というくらいのイメージで取り組めます。
「私はコミュ力が低いから」と、自分の性格そのものに原因を求めてしまうと、そこで思考が止まってしまいがちです。
でも「今のところ、この場面で使える言い方をあまり持っていないだけかもしれない」と考えられると、次に何をすればいいかが、少し見えてきませんか。
『読むソーシャルスキルトレーニング』という本では、こういう「職場でありがちな場面」を一つずつケースとして取り上げて、そこでどんな言い方や行動の選択肢があるかを具体的に扱っています。
「コミュ力がない」で片づける前に、場面ごとの「言い方の引き出し」を眺めてみる。そういう使い方をしてもらえたらと思って書いた本です。Kindle Unlimitedをご利用の方は追加料金なしで読めます。
自分の性格を責めるより先に、「この場面、他にどんな言い方があるんだろう」と考えてみる。そのほうがずっと建設的だし、実際に変えられる部分でもあります。


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